適応障害のこと①
前回の日記から少しだけ時間が経ってしまった..
題名の通り、
" 適応障害のこと "
を書きたいなあ、って前々から思ってたんだけど
なんせ辛かった記憶だから
思い出したくないし
普段は封印してる記憶を
引っ張りだすには中々億劫で..
じゃあ、書かなきゃいいじゃんって
言われたら
そうなんだけど。
自分の中で一回整理をして
次へ進みたいから
今回日記を書くことにした
私が適応障害を発症したのは
2018年の5月。
もう3年半経ってるのか..
当時の女上司が
かなり問題ある方で。
その方のせいで辞める人もいたそう。
*とにかくエコ贔屓が甚だしい
*誰かをターゲットにしていじめる
例えば、そのターゲットの人が些細な仕事のミスをしたとする。
そしたら必要以上に叱る。
わざわざ皆の前で怒ることじゃないのに
公開処刑。
一方で味方を必ず1人はつける。
その味方の人が同じように仕事でミスをした場合、
(むしろ重大なミスをしてでも)
フォローして
「全然大丈夫だからね💕」って
気持ち悪いくらいぶりっ子する
タチが悪いのは、その人が管理職だから
味方になった人は天国
ターゲットになった人は地獄
皆ターゲットにならないように
女上司の顔色を伺う
その人が休みの時は皆生き生きと仕事をしていた
それにその人への悪口大会が酷かった
女上司は仕事も出来ない人だった
何でこの人が管理職なんだ?って思うくらい
仕事をしないでダラダラしていて..
尊敬できる部分が一切無かった
入社して半年。
突然私がターゲットになった
*根も葉も無い噂を流された
→ 男性社員と不倫してると言われた
*話しかけてもガン無視
今思えば、全く根拠も無い噂なんだから
気にしなきゃ良かった
でも、その時はつもりに積もったストレスが
噂によって
一気に人間不信へ..
ある日突然、仕事に行けなくなった
まず玄関から一歩も外に出られなかった
「行くな、行くな、行くな」
って何度も頭の中で反芻していた
身体が拒否してたんだろうな..
どうにか外に出られるようになったけど、
今度は電車に乗れなくなってしまった
当時、都会に住んでいた私は
交通手段が電車かバスだった。
通勤には電車を使ってた
駅付近に着くと
人が沢山いて。
誰も私のことを見てないのに
" 人 "
が恐怖でしかなくて。
震えが止まらなくなって
一人暮らしのアパートへ帰るしか無かった
私は休職することになった
その間、女上司は今までの問題行動から
本社から目をつけられて左遷。
結局自分から退職した。もうその上司はいない。
半年後、復職する日。
もう女上司はいなくなったから戻れると思ってた。
でも..
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